8月15日が近づくといつも思うのですが、
日本は戦争に負けて敗戦したのに何故、終戦記念日と言うのですか?
敗戦と終戦とはどちらの言い方が正しいのでしょうか?

投稿日時 - 2008-07-25 21:24:58

QNo.4203936

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

どうもです 無条件降伏し完全に敗戦したのに終戦・進駐軍とか 例えば局地戦で負けて退却するのに転戦と言ったり、戦後は軍隊なのに自衛隊・階級も1等陸佐2等陸尉2士1士陸曹普通科特火と称したり、これらは陸軍大佐中尉2等兵1等兵軍曹歩兵砲兵とはっきり呼称すべきなのにあたかも軍隊ではありませんというが如き浅知恵を労しております。老人のことを熟年とか称しております。こう言う表現で日本人は自らを中途半端な気持ちで済ませているのです。終戦というと自ら戦争を止めたように錯覚させているのです。誰がどういう連中がこういう終戦だなどど言い出したのかを解明すべきです。こういう宣撫手法で戦争指導者たちは責任の所在をボカシうやむやにしているのです。我々日本人はこういうネコナデ言葉に篭絡されているのです。官庁や政治家等の失策を責任が誰にあるのか分からないようにするための巧妙な手口なのです。まことに汚いやりかたです。完膚無きまでに戦い破れ焦土と化し戦う能力が無くなった状態では敵のなすがままだったのです。今は遅きに失した感ですが日本人は徹底的に敗戦を認めることをすべきです。日本民族が敗れたんだという悔しさ辛さを日本人自身が共有することが大事なことだと思うのです。民族の誇りが傷つき打ちのめされたことをハッキリ認識するべきです。そこから這い上がるべく努力するのです。戦後経済が発展したことはだれもが共有意識として持っていますが、精神は貧弱になるばかり民族の誇りなどどこえいったのでしょう。筋金入りの精神をつくりあげるには民族の誇りが傷つき打ちのめされたことをハッキリ認識するべきです。熟年などという言葉に惑わされていないで老人であることを自覚すべきです。老人は社会では一方で指導者でもあるのです。他方は弱者にもなります。しかし昨今の後期高齢者医療制度のことでは老人連は被害者だと大声で喧伝してますが、自らも応分の負担をすることに寛容であるべきです。日本人の謙虚さ辛抱強さを体得しているはずの老人等が己の生活権の侵害だとばかりに騒ぎたてているのは見苦しい限りです。日本人はかつてそうであったようにもっと謙虚さをとりもどして欲しいという思いで書いてみました。

投稿日時 - 2008-07-28 11:02:03

お礼

回答有り難うございます。
やはり負けたときは素直に負けを認めなければ駄目ですよね。
じゃなきゃ、進歩がないですものね?
でも熟年て、幾つくらいから言うのでしょうね。僕は熟年てまだ年寄りだとは思わないんだけど・・・
いろいろ教えて頂いて考えさせられました。

投稿日時 - 2008-07-28 18:48:46

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ベストアンサー以外の回答(7件中 1~7件目)

ANo.8

たびたび失礼します
文章が下手な為、判りづらかったですね。
政府自体は同じものなのですが、掲げてる理念が別なので政府の認識としては別物であり、戦争責任も道義的な責任はあるが直接の責任はないと考えてるのではないかと表現したかったのです。
そんな認識があるから『敗戦』を他人事みたいな『終戦』と表記するのでないかと思います。

投稿日時 - 2008-07-30 13:07:05

お礼

ご丁寧に有り難うございます。
よく分かりました。やはり「終戦」と言うのは何か白々しい感じがして他人事みたいですよね。
真実から目を逸らしているような気がします。
★nekotamaさんは猫が好きなんですか?
私は大の猫好きです。

投稿日時 - 2008-07-30 19:52:04

ANo.7

現在の日本政府(以後新政府と称す)は戦争を起した日本政府(以後旧政府と称す)とは別物です。
戦後に戦勝国の助けを借りて新政府は発足しました。
8月15日は旧政府が戦争に負けた日であり。
新政府にとっては忌まわしい戦争が終結した喜ばしい日です。
旧政府の悪行を忘れず、平和主義の新政府による新たな日本の誕生日。
それが『終戦記念日』です。

本来なら国辱的な『敗戦の日』を『終戦記念日』としてあえて祝日にしてしまうあたりに日本政府の戦争責任放棄の基本方針が伺えます。

補足…戦争責任がない(らしい・あっても戦犯じゃない)天皇陛下にとっても『負けた』ではなく『終わった』なんでしょうね

投稿日時 - 2008-07-29 14:22:40

お礼

回答有り難うございます。
現在の日本政府と昔の日本政府は別ものなんですか?
どうも、終戦記念日というしっくり来ない名前は、戦争責任の放棄と関連がありそうですね!

投稿日時 - 2008-07-29 20:38:45

ANo.6

いろいろ意見が分かれるところです。

終戦なら連合国も日本にとっても共に「戦争終わった」です。
敗戦なら、連合国(米、ソ、中、英、仏、台)にとっては、戦勝記念日で、日本にとっては敗戦記念日です。韓国にとっては、解放記念日でしょうか?

終戦記念日は、敗北を直視できない、しない、ごまかす表現です。
日本は連合国に「無条件降伏」し、天皇が国民に対し敗北したとラジオで宣言(玉音放送)し、国民の多くが天皇の敗北宣言を了承しました。
ですから、敗戦記念日が正確な表現と言えます。

なお、一番正確に言うなら「降伏記念日」だと思います。

投稿日時 - 2008-07-29 10:19:51

お礼

回答有り難うございます。
敗北を直視する事は、みじめですよね?
でも事実を直視出来ない臆病者はもっとみじめかも知れませんね。

投稿日時 - 2008-07-29 20:22:29

ANo.5

 ANo.4の補足(継続)
 だからといって、東京裁判という戦勝国の形式を、インド代表を除いては合理化してはいけないと存じます。同時に原爆投下や東京などの空襲などによる無辜の非戦闘員の虐殺は裁かれるべきです。これの時効は認められません。
 
 そして、わが国の指導者とわが国の開戦選択は、方法とやり方は今は拙劣という判断があるけれども、それ自体は国民のみんなで決めたことです。私たちの歴史です。今、当時の状況や思いを、そのときの人になって、公平に判断できるでしょうか。そんな人はおりましょうか。
 
 開戦に追い込んでいった、アジアを分割しあい、食い物にする植民地主義の先進列強の原因性こそ、責任がないでしょうか。
 民族大移動から、十字軍、大航海時代へかけての、決して白色ではない白人の侵略主義は、アメリカ大陸のインデアンなどばかりではなく、各地の人たちと先住民を踏みにじってはきていないでしょうか。
 大東亜か太平洋なのかも論議がありましょうが、かの世界大戦争の原因はわが国と私たちの指導者、国民の考えにだけ、責任があるものでしょうか。
 今は昔、と当時を反省するのもいいが、反省の仕方とその内容こそが大事ではないでしょうか。
 社会主義といえ、また自由主義や個人主義といえ、またはファッショなど、結局、歴史の上で何を解決できたのでしょう。歴史と文化を進歩させたでしょうか。
 統治ということもそのための権力も、歴史の所産として必須になりましたが、今までのそれらも、今のそれらも必ずしも肯定することは難しくはありませんか。
 昔の私たちの国のあり方はそれほど否定的なのでしょうか。
 幕末に苦労され、明治にわが国の基礎をなしたこの国の文化と文明を一把一からげに論断しないで、繋ぐところも考えたいと存じております。
 60年安保の青年時代からのラディカル前衛でもありますが、それ以前も今も先鋭なる革新であり、伝統文化の尊重者でもあります。
 もちろん靖国はどの国も、あらざるを得ないものです。当然でしょう。

投稿日時 - 2008-07-29 09:47:36

お礼

補足を有り難うございます。
回答の意味を再度ゆっくり考えてみたいと思います。

投稿日時 - 2008-07-30 19:55:57

ANo.4

 ANo.3のご回答に100%賛成で、従来私としても思っていたことを完膚なく分析され、まとめられ、文章表現していただいておると存じます。
 
 敗戦・終戦(順序はこれであるべきですね)のとき、小学校一年。
 大人、男性、指導の役人、そして軍人、天皇陛下と皇族、華族にとっては正に敗戦でしかない。国、国土、山河、そして国民にとって敗戦でしかない。

 でも浅草、蒲田などで焼け出され、晩く生まれた私と妹、結核の兄、老両親。親戚やら知人を転々と、頼ってたずねていく私たちには、もう、湿っぽく、暗く、息苦しい床下の防空壕に逃げなくていいのだ。
 空襲警報で、真夜中二時、三時に起こされ、防空頭巾をかぶされ、焼夷弾で、一面が真っ赤になっている世界を逃げ惑わなくてもいいのだ。
 ご近所の精進揚げ屋のおばぁさんが孫を胸にかばって、背中に焼夷弾がくっついて燃えていってしまった。恐ろしい地獄だ。
 浅草から白髭橋を、荒川を、綾瀬川をそしてお花茶屋の焼き場まで、死体の油の跡をたらしながら、死体の肉親を担いでいく行列は終わるのだ。焼き場へいったって、今のようにすぐのお骨になんかなりゃしないのだ。
 そんなことが終わるのだ。そういう社会的にひたすら生きている人、女、病人、妊娠している女性、私たち子供。
 そういう人には敗けたということより、終わったということで、子供の気持ちとしても、その眼としても、晴れ晴れでした。終わったのです。
 空は青空。隣組の偉い人や軍人も男たちも、警察にも威張られないのです。息を潜めていつも遠慮して、気を使ってそっといきていかないでいい。
 苦労は親たちがしていたろうが、みんなほっとしていたし、解放されたという感じは否めない。
 終戦ということば、マヤカシの造語には違いないが、終戦という感じも正直なところです。
 文化と精神性を喪失してきたこの60数年の奪回を考えながら、思っています。
 重ねて、ANo.3さんのご回答は、大賛成で、批判をしているわけではありません。

投稿日時 - 2008-07-29 08:24:16

お礼

戦争を体験された方からのご意見、とても参考になりました。
文章がうまいので、現実にフィルムを見ているような切迫した状態が伝わって来ました。
難しい事は分かりませんが、やはり戦争は何かを解決する手段としては、最低だと思います。
何故なら、貴重な人間の命と引き換えに得るものはごく少ないからです。
と考える僕は間違っているんでしょうか?
回答有り難うございました。

投稿日時 - 2008-07-29 20:14:42

ANo.2

言葉の綾です。
敗戦と言うと天皇を含め、戦争の責任問題が出ますが、終戦ですと一応回避できます。
日本独特の言葉遣いです。

投稿日時 - 2008-07-26 17:48:35

お礼

回答有り難うございます。
言葉の綾で責任を回避したんですね?
セコいですね。

投稿日時 - 2008-07-27 11:35:13

ANo.1

負けたとはっきり言いたくない政府が言った言葉だからです。
敗戦→終戦
占領軍→進駐軍

投稿日時 - 2008-07-25 21:46:31

お礼

回答有り難うございます。
負けたと認めたくなかったんですね?
言葉のごまかしも沢山あるようですね。

投稿日時 - 2008-07-27 11:33:37

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