秦の始皇帝の時代に信仰されていた宗教を教えてください

秦の始皇帝時代に、秦が国家として信奉していた宗教がありましたら教えてください。
よろしくお願いします。

投稿日時 - 2007-05-14 00:39:36

QNo.2998098

困ってます

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回答(6件中 1~6件目)

ANo.6

国家としては、解りませんが、「秦」という称から推測できることは、日本でも「秦氏」という氏族で話題になっていますが、可能性として「ヘブライ的」な信仰があった可能性があります。その証拠に、秦の始皇帝の墓は、「ピラミッド」です。つまり、古代エジプト的な要素がある。そして、旧約聖書の創世記の記述にあるように、古代イスラエル民族(モーセの出エジプト前)は、400年もの間、エジプトに滞在していました。その後が、モーセの出エジプト、そして、カナン(パレスティナ)時代です。その流れを汲む民族が、中国にシルクロード沿いに流入し、そして、秦の始皇帝を生み出した可能性もあります。つまり、「古代イスラエル」的、な信仰だった可能性があります。

投稿日時 - 2008-08-09 23:48:43

ANo.5

先秦と呼ばれる春秋戦国期には儒家、墨家、名家、法家、道家、陰陽家の六家(宗教に相当する)がありました。  (司馬遷の分類によるので境界不分明の所もある)
始皇帝は焚書坑儒(伝えられて居るほど大規模のものではなかった)で有名ですから、国教を定める筈はありませんが、道教に近い考えであったと思います。
黄帝を敬い自然に生きる。  もっとも晩年は不老不死を望むなど外れてしまいましたが。

投稿日時 - 2007-05-14 10:09:09

ANo.4

参考まで… 神仙道

http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-1.htm

投稿日時 - 2007-05-14 09:29:31

ANo.3

まず、中国においてはいまでもそうなのですが「宗教」と聞いて今の日本人が思い浮かべるようなものは存在しません。
儒教は宗教のひとつにされることも多いですが「神」とか「霊」といった宗教的要素を意図的に排除しており、やはり倫理体系みたいなものです。
老子などの道家(後に出てくる道教とは少し違います)も、神などの要素は薄く、法家も同様で、いずれも倫理体系とか知識体系といった形です(特に法家については完全に政治体系的なもので、宗教とはまず呼べません)。
そして、始皇帝のころにあったのは主にこの3つで、始皇帝は韓非の影響もあったことから、法万能主義を推し進めました。つまり法家的な国を作りました。結果的にそれが短命王朝の原因だったのですが。
さて、ちょっと補足をしておきますと始皇帝のころ、儒教はどちらかといえば野党でした。儒教と対を成す関係の道家がより優勢で、これは漢王朝の最初の数代(武帝の前まで)に顕著です。つまり、「何もしないことが最上」という考え方で漢初期は政治をやっていたのですね。

さて、儒教が「神などを意図的に排除している」と先ほどいいましたが、排除しているということは、中国においてもそういったものは存在しているのです。女媧という女神や、日本にも伝わっている神農といった神がいます。しかし、これらはどちらかといえば非主流でして、やはり主流は「天」という概念に基づく考え方なので、周のころにできたといいます。
実際、皇帝のことを天子と呼んだりするのはこの考えに基づくものですし、中華思想の源流もこれです。社稷という考え方で成り立ってもいますね。
実際、始皇帝も泰山で封禅とよばれる、聖君子であるといった証のような儀式を上げており、石碑を残したとされています。この辺の考え方については、陳瞬臣氏の中国の歴史1,2巻あたりを読んでいただければと思います。
蛇足ですが、この泰山での封禅のとき、すでに作法が(なにせどうもこの儀式は殷代のものであるとされていますので)わけわからなくなっていたため儒者に聞いたのですが、ばらばらな答えが返ってきたため始皇帝は面白くなく(このときは結局、我流で行ったようです)、後の大弾圧の一因になったともされています。
また、上でだした神については、漢末ごろに太平道とか五斗米道のような民間信仰と道家的なものが結びついた集団が現れ、それにさらに仏教なども結びつき、今でいう道教とよばれる代物になり、中国人のそういった神などの考え方に影響を与えています。

まあ、結論から言えば、今で言うところの「宗教」について、特定の信仰があったわけではありません。

投稿日時 - 2007-05-14 02:42:31

ANo.2

国家としては祖先崇拝
ということになります。
質問者は、たぶん国教的意味でお考えだと思いますが、国教という概念自体が、外国との衝突による、自国家の定義作業として生まれます。
競争相手あっての国教です。
典型的には、古代においては、対メソポタミヤ文明に対するイラン人ナショナリズムとしてのゾロアスター教。ヨーロッパにおける、「ローマカソリック採用しようか?ギリシャ正教採用しようか?」と考えたゲルマンやスラブの諸民族です。

中国文明圏を統一した秦にとって、対抗相手がないので、わざわざ国教を決める必要がなかったということになります。

投稿日時 - 2007-05-14 02:23:48

ANo.1

宗教かどうかが問われる面がありますが、「法家」ではないでしょうか。

投稿日時 - 2007-05-14 01:36:36

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